イカとデジカメ

▽カメラの進化と眼の進化

 

 カメラという道具は人間の眼を模して作られている。すなわち、カメラは眼の水晶体に相当するレンズ、虹彩に相当する絞り、網膜に相当するフィルムや撮像素子を備えている。

 またカメラが進歩すると共に、眼と同様の自動露出、自動焦点機能が備わるようになり、さらにデジカメになると自動ISO感度機能が搭載されるようになった。まさにカメラは人間の眼をモデルに進化し続け、さらに人間の眼を越えようとしている。

 カメラの進化は人間による技術進化の歴史である。では人間の眼そのものは、どのように進化してきたのか?

 チャールズ・ダーウィンは1859年に『種の起源』を出版し、その中で、きわめて不完全で単純な眼から、完全で複雑な眼に至るまで、数多い段階が存在するだろうと述べている。そして実際に、さまざまな動物の眼を比較し、原始的なものからより複雑なものへと、順に並べることは出来るのである。

 

▽単体露出計のような眼

 

 もっとも原始的な眼は、単細胞生物に備わっている。例えば水中に棲息するミドリムシは「光センサー蛋白質」を備え、光の明暗を感知できる。言ってみれば単体露出計のような、ごく単純な機能で「眼点」と呼ばれる。ミドリムシは眼点で光を感知すると鞭毛を動かしその方向へと泳いで行く。なぜならミドリムシは植物と同じく葉緑素を備え、光合成しながら生きているからである。

 

f:id:kimioitosaki:20190611042831j:plain

 

ピンホールカメラの眼

 

 単細胞生物が進化すると多細胞生物になるが、同時に眼点も進化して「眼」と言える構造を備えるようになる。例えば「生きた化石」と言われるオウムガイは、イカのような体と貝殻を持ち、分類学的にアンモナイトに近い。

 オウムガイは一見イカのような眼を備えているが、実はレンズのない「ピンホール眼」なのである。人間のカメラ史も、まずピンホールカメラが発明され、次いでレンズ付きカメラが発明されたのだが、生物進化も同じ道を辿っていたとは面白い。ただしオウムガイの眼球は直径10㍉程なのに対し1㍉程の穴が空いており、ピンホールとしては大きい。そのため像のピントはボケているが、その分明るい視界を得ることができる。 

f:id:kimioitosaki:20190611042608j:plainf:id:kimioitosaki:20190611042705j:plain

▽レンズを備えた眼


 

 オウムガイが進化すると殻が退化しイカになるが、同時にその眼にはレンズ(水晶体)が備わるようになる。そして実にイカの眼は、基本的に人間の眼と同じ構造なのである。

 イカは貝類を含む軟体動物の一種で、脊椎動物である人間と較べて、はるかに原始的だと言える。実際、イカは魚類よりも体の構造が単純で、骨はあってもそれは退化した貝殻に過ぎない。しかし眼だけはレンズ付きの立派なものを備えている。そのためイカは優れた視覚を備え、そして驚くべき能力を発揮する。

 

f:id:kimioitosaki:20190611043146g:plain

液晶モニターを備えた眼

 

 イカの中で最も進化したコウイカは擬態の名人だ。例えば砂地にいる時のコウイカは、体の模様が砂地そっくりに擬態し、発見するのが難しい。ところが同じコウイカが海藻の上に移動すると、パッと瞬間的に海藻そっくりの模様に変化し、さらに岩場に移動するとまた瞬時に岩そっくりの模様に変化する。

 私はこのようなコウイカの擬態をNHKの科学番組で初めて見たのだが、あまりの見事さに仰天してしまった。

 コウイカの体色変化の秘密は、体表にある無数の色細胞で、これが筋肉の力で瞬時に伸縮し模様を変化させるのである。この様子を顕微鏡で撮影した動画を見ると、まるでデジカメの液晶モニターのようだ。

 と言うよりも、コウイカそのものが、まるでデジカメのような存在なのである。

コウイカは眼の水晶体(レンズ)を通して網膜(撮像素子)に結像した像を体表(モニター)に映し出すという点で、デジカメとそっくりだ。人間は実に、長い年月をかけて高度な技術を積み重ね、結局は太古から存在するコウイカと同じものを、デジカメとして開発したのである。

 しかしコウイカは眼で見た風景をそのまま体表に映すのではなく、擬態のためにまず地表を複写し、その解析パターンを表示するという点で、デジカメより高度化している。

 さらにコウイカは皮膚を立体的に変化させることによって、地表の立体パターンをも再現できる、3Dカメラとしての機能も持っている。

 それだけでなくコウイカのオスメスが求愛する際、体の模様が鮮やかなCGアニメーションのように連続して変化する。つまりコウイカの体色変化は擬態によって身を隠すだけではなく、視覚によるコミュニケーション能力をも備えているのである。

これは人間の機械に置き換えると、スマートフォンに近い機能を備えていると言えるだろう。

 人間による技術の進化は生物進化の後追いでしかなく、そのことは人間の技術が進歩すると共に、より明らかになってゆくのである。

 

 

f:id:kimioitosaki:20190611042330p:plain

f:id:kimioitosaki:20190611042350p:plain

    ↑

白い砂地に擬態したコウイカ(左)が、海藻に近付くと瞬時に体色が変化し、海藻そっくりに擬態する(右)。

https://www.youtube.com/watch?v=mhobFeXr2Xs動画より画像切り出し

 

カメラとは時計である

カメラとは何か?常識的には写真を撮る道具である。しかし私はふと、カメラとは「時計」でもあることに気が付いた。

 

どんなカメラも時計としての機能を持っている。カメラにはシャッター速度ダイヤルが備えられ、「1秒」とか「1/30秒」とか「1/1000」とか、実に正確に時を刻む機能を持っている。だからカメラの進化とは、時計としての進化でもある。

現代のデジタルカメラは電子式の時計として機能している。フィルムカメラ時代の電子シャッターカメラには、まさに時計と同様クォーツ制御を売りにしたヤシカコンタックス一眼レフもあった。

 

それ以前の機械式カメラは、まさに機械時計である。私はその昔、ジャンク品で買った壊れた機械式カメラを修理するのが趣味だったが、カバーを開けて中のギアやバネや分銅などの動きを見ると、その精密さに惚れ惚れしてしまうのである。

 

しかしそもそも写真が発明されてから間もない頃のカメラには、シャッターが搭載されていなかった。シャッターのかわりにレンズキャップを手動で開けて、露光時間を計って閉めていた。初期の写真は露光時間が長く、カメラ内部に短い時間を精密に測定する時計をシャッターとして搭載する必要がなかったのである。

 

それでは初期のカメラは時計ではなかったのか?と考えると、そのカメラで撮られた写真そのものに、時計としての機能が備わっていることに、気が付くのである。

例えばニエプスが世界最初に撮った写真は露光に数十時間を要したとされるが、それだけの「時間」がその写真には示されている。当時の感光材の感度と、レンズの明るさに応じた適正露出の「時間」を、その写真は時計として表しているのである。

また、1826年あるいは1827年に撮られたとされるニエプスの写真には、「その日」の時間が確かに示されている。それは現代に至るあらゆる写真も同様で、だから本質的に写真は時計であり、カメラも時計であり、その両者の時間合わせをしたのが「適正露出」だと言える。

 

では時計とは何か?と思ってその歴史を振り返ると、歯車やゼンマイを使った機械式時計の前は、砂時計や水時計で、それ以前は日時計だった。

 

古代ギリシアでは日時計が使えないときに使える時計として、水時計が考案され、それが現代に至る機械式時計のルーツだと言われている。

 

ともかく日時計こそが時計のルーツなのだが、そう考えると写真とは実に日時計の一種であることに、気付くのである。写真はそれが撮られた固有の時間を示しているが、それは太陽の光によって投影された時間だと考えると、まさに日時計である。

 

 

世界最初の心霊カメラマン

○由緒正しい心霊写真

 デジカメの時代になって廃れたもののひとつに「心霊写真」がある。

 

私が小中学生のころ(1970年代後半)は心霊写真の本やテレビ番組が流行っていたが、私は昔からそういうものはあまり信じておらず、たいていは二重露光とか、フィルムの光漏れとか、いわゆる失敗写真で、そんなものに「専門家」と称する人が地縛霊だとか守護霊だとか、もっともらしい解説を付けていたのがバカバカしくも面白かった。

ところがデジカメの時代になってそのような失敗がなくなると共に、心霊現象もすっかり写真に写らなくなってしまったのである。

 しかし心霊写真そのものは19世紀の写真黎明期から存在し、それは子どものころ見た心霊写真の本にも紹介されていた。心霊写真は長い歴史を持ち、その意味で由緒正しい写真なのである。また現在はデジカメとCG技術が融合した特撮全盛時代でもあり、その源流に心霊写真があると考えられるのだ。

 

南北戦争と心霊写真

 

 そこで心霊写真の歴史をあらためて調べてみたところ、ウィリアム・マムラー(アメリカ・1832〜1884)が世界初の「心霊写真カメラマン」であることが分かった。

 

マムラーは宝石の彫刻師として働きながら、趣味で写真撮影の練習をしていた。そしてある日セルフポートレートを撮ったところ、自分の背後に少女の姿が影のように浮かんで写っていた。

f:id:kimioitosaki:20190611040205j:plain


これを友人に見せたところ「この写真に写っている少女は、亡くなった君のいとこにそっくりだ」と言われた。もちろんマムラー自身は、自分が二重露光のミスをしたことに気付いていた。しかし彼はこの失敗を元にあるビジネスを思い付く。


 マムラーが写真を始めた1860年代は「ダゲレオタイプ」が1839年に発表された20年あまり後で、改良された湿板写真が主流だった。と同時に南北戦争(1861
–1865年)の最中で、戦場写真も撮られ始めていた。そこで彼は、南北戦争で親族を失い悲しみに暮れる遺族のために、死者の霊と共に肖像写真を撮る「心霊写真スタジオ」をニューヨークでオープンしたのである。


 実は産業革命期の19世紀は死者の霊と交流する「科学実験」も行われ、そんなオカルトブームに乗ってマムラーの「心霊写真」も注目を集め、彼のスタジオには人びとが殺到した。


 ところがそのうちマムラーの心霊写真にやっかみや懐疑の目を向ける人も出てきて、ついに詐欺罪で裁判に掛けられる。そこで検察は別の写真家が意図的に撮った「ニセ心霊写真」を差し出し、このような写真が「二重露光」で撮れることを示した。そのニセ心霊写真には「悪名高い興行師バーナム」の背後にうっすらと、エイブラハム・リンカーンの霊が写っていた(写真2)。

f:id:kimioitosaki:20190611040311j:plain

 この「バーナム」とは何者か?気になって調べてみると、現在でも有名なリングリング・サーカスの創始者で「観客を発明した男」とも呼ばれた興行師であった。

 

バーナムは「ジョージ・ワシントンの元乳母で年齢161歳」と言う触れ込みの黒人女性ジョイス・ヘスを見世物にすることで、興行師としての人生を始めた。

 

リンカーン奴隷解放宣言1862年の30年ほど前である。

 

ジョイス・ヘスが死亡すると、バーナムは彼女の遺体を解剖するショーを開き、50セントの入場料で1500人の観客を集めた。その際の解剖医により彼女の年齢が80歳に満たないことが明らかになった。

 今の常識で考えるとずいぶん酷い話だが、かつてのアメリカは奴隷制度が容認され、基本的人権も男女同権もなく、現在とは全く異なる世界だったのだ。


 話が横道に逸れたが、バーナムの背後にリンカーン像が写るニセ心霊写真は、当時としては皮肉の効いたジョークでもあったかも知れない。

リンカーン夫人と心霊写真

 そんな写真が法廷で示されたにもかかわらず、マムラーは証拠不十分で無罪になる。今の常識からすると意外な判決だが、当時はまだ科学とオカルトの区別が明瞭ではなかったのだろう。


 しかしケチが付いたマムラーの心霊写真は人々から疑いの目で見られるようになり「マムラーは亡くなった人の写真を入手するため盗みに入っている」という噂まで立ち始めた。そこでニューヨークにいられなくなったマムラーは、故郷ボストンに戻る。

 ところが1872年、噂を聞きつけたひとりの老婦人がマムラーを訪ねてくる。それはなんと1861年に暗殺されたリンカーンの未亡人、メアリー・トッド・リンカーンであった。メアリーは目の前で夫を暗殺され、さらに息子ロバートも病気で亡くし、悲しみの果て鬱病を患っていた。


 そしてメアリーはマムラーに得意の肖像写真を注文した。マムラーが撮影したメアリー夫人は満足したように穏やかな表情で、その背後にリンカーンの霊が佇み、両肩にやさしく手を添えていた(写真3)。

f:id:kimioitosaki:20190611040422j:plain

それが1882年に亡くなったリンカーン夫人の最後の写真となった。いっぽうマムラーは1884年に無一文のうちに亡くなった。


 普通に言えば、マムラーの心霊写真はインチキに過ぎない。しかし人間心理に影響を及ぼす画像合成技術だったことを考えると、はやり現在のデジタル合成技術に連なるパイオニアとして十分に評価できるのだ。

 

 

写真は「何者」によって発明されたのか?

○写真家が存在しなかった時代

 

 写真を発明したのは誰か?写真史を少しでも知っている人なら、ニエプス、ダゲール、タルボット、などの名が挙げられるだろう。しかしふと気付いたのだが「写真」の発明以前に「写真家」は存在しなかった。つまり写真は「写真家ではない者」によって発明されたわけで、ではそれは一体「何者」なのか?があらためて気になってしまった。

 ここで基本的なことを確認すると、まず写真が発明される以前から「カメラ」はこの世に存在していた。それが「カメラ・オブスクラ」(暗い部屋の意味)で、レンズ(あるいはピンホール)からスクリーンへ投影された「像」をなぞり描きする、画家のための描画装置である。カメラ・オブスクラの発明者は不明だが、ルネサンス期の画家たちによって使用され始めている。そして時代が下り産業革命が始まると、カメラ・オブスクラの像もまた自動的に定着させようという試みが、されるようになったのである。

 

ダーウィンの叔父による実験

 

 その最も早い例がトマス・ウェッジウッド(イギリス・1771〜1805)で、1800年以前に「写真」の実験が行なわれたとされている。ウェッジウッドが試した感光剤は感度が低く、カメラ・オブスクラの暗い像は写せなかった。しかしウェジウッドは感光材を塗布した紙の上に物を直接置き、そのシルエットを写すことに成功した。ところがシルエットは時間が経つと消えてしまい「写真」として不十分であった。

 さて、このトマス・ウェッジウッドは何者か?まずイギリスの陶器メーカー「ウェッジウッド」創業者の息子であり、数多くの芸術家のパトロンだった。また進化論で有名なチャールズ・ダーウィンの叔父でもあり、自身も科学者だった。ウェッジウッドは幼児教育を通じ「幼い脳が吸収する情報の大部分は視覚に由来し、光や映像が関わっている」と見抜いた。そのような知見から、いち早く写真研究への情熱が芽生えたと考えられる。

 

○ナポレオンが認めた内燃機関の発明者 

 次いで写真の研究を始めたのがニセフォール・ニエプス(フランス・1765〜1833)で、カメラ・オブスクラの像を化学的に定着させる実験を1826年ごろ成功させ、この世界初の写真術を「へリオグラフ」と名付けた。

 ニエプスは発明家で、1807年に兄クロードと共に世界初の内燃機関「ピレオロフォール」を完成させた。粉じん爆発で推進する仕組みで、これを搭載したボードで川を遡上する実験をし、当時のフランス皇帝ナポレオンから特許を授かっている。

 その後ニエプスは世界初の写真撮影に成功するが、露光に数十時間を要し実用上問題があった。そこで光学用品店で出会ったルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(フランス・1787〜1851)の協力を得て、写真術の改良を試みたが、志半ばの1833


年に脳卒中で急死してしまう。


f:id:kimioitosaki:20190611034135j:plain
*ニエプスが写真撮影以前に取り組んだ内燃機関「ピエオロフォール」


ジオラマ劇場の興行主

 

 ダゲールはニエプスの遺志を受け継ぎ写真研究を続け、1939年に露光時間を十数分に短縮した「ダゲレオタイプ」を完成させた。ダゲールの特許は当時のフランス政府が買い上げ、誰にでも使用する許可を与えたため、ダゲレオタイプは世界中に広がり、写真時代の幕開けとなった。

 ダゲールはもともと画家であり、なおかつ自ら発明した「ジオラマ劇場」の興行主だった。これは大型の娯楽施設で、半透明スクリーンの表裏に異なる場面の風景画が描かれていた。そしてスクリーンに当てられた照明を変化させることで、観客に「移ろいゆく風景」のイリュージョンを観せた。ダゲールはジオラマ劇場のためにカメラ・オブスクラを使って絵を描いており、それが写真発明の動機につながったのである。

f:id:kimioitosaki:20190611034209j:plain

*ダゲールが「ジオラマ劇場」のためにカメラ・オブスクラを使用して描いた風景画

 

◯数学者にして考古学者

 

 さてダゲールの写真術が公表されて驚いたのがフォックス・タルボット(イギリス・1800〜1877)である。なぜなら彼も独自に写真の研究を進めており、未発表のまま中断していたのである。タルボットはその後1841年に独自のネガポジ式の「カロタイプ」を完成させ、世界初の写真集「自然の鉛筆」も刊行した。

タルボットはダゲールと反対に絵が下手で、カメラ・オブスクラの像を上手くトレースできず、それが写真開発の動機となったとされる。そんなタルボットが写真研究を中断したのは、数学研究に没頭したためである。彼はケンブリッジ大学卒の数学者で、化学や光学の論文も執筆する科学者でもあった。さらに紀元前8000年ごろの古代メソポタミア文明の遺跡から発掘された「楔形文字」の解読にも貢献し、考古学者としても名を残している。

  以上、駆け足で見たように、写真を発明したのは何者か ?はひとことで表せないほど、それぞれ多様な活動を行なっている。実に昔の人は、現代のスマホのように「多機能化」していたのである。そう考えると現代人の多くは単機能化していると言わざるを得ない。いったい人間は進化したのか退化したのか?今あらためて考える必要があるかも知れない。

 

 

 

人間の眼の焦点距離は何㍉?

○標準レンズは人間の眼に近い?

 

 写真の世界では一般的に、「標準レンズは50mm」だと昔から言われてきた。しかしそれは「35mm判カメラ」の場合であり、デジカメの場合は撮像素子サイズが変われば「50mm相当」のレンズの焦点距離も変わってくる。なぜなら写真の世界では慣習的に、レンズの「画角」を「35mm判カメラの焦点距離」に換算して表記しているからだ。

 これは初心者にとって実に分かりにくいと思うのだが、フィルム時代から写真をやっている人にとっては「50mm」と言えば標準で、「28mm」と言えば広角で、「14mm」となるとずいぶんな超広角レンズだなぁ……という具合に直感的に分かりやすいのである。

 そこでAPS-C規格では33mmレンズが、マイクロフォーサーズ規格では25mmレンズが、それぞれ「35mm判換算50mm相当」の標準レンズとなるのである。

 ところでなぜ、標準レンズは50mm(相当)なのだろうか?私がカメラに興味を持ったのは中学生になってからだが、当時の写真関係の本にはどれも「50mmレンズは人間の眼に近いから」とその理由が書いてあった。しかし私はどうもこの説明にどうも納得できず、それは今でも変わらないのである。

 

○眼の直径から焦点距離を求める


 あらためて標準レンズとは何か?を考えるうちに、そもそも人間の眼の焦点距離は50mmなのだろうか?と言うことがあらためて気になってきた。

 そこでネットで調べてみたのだが、人間の眼の焦点距離を明記したサイトを見つけることは出来なかった。そこで発想を変え、眼球の直径を調べ、そこからおおよその焦点距離を割り出してみることにした。

 すると眼科系のページがいくつかヒットして、これらの情報を総合すると、人間の眼球は「直径約23〜24mm」であることが分かった。また眼球は「厚さ約1~1.5mm」の強膜に覆われ、レンズに相当する水晶体は「厚さ4~5mm、直径9~10mm」であることもわかった。

*人間の眼の構造

f:id:kimioitosaki:20190611030327g:plain

 

1紅彩 2強膜 3脈絡膜 4網膜

ぎもんしつもん目の辞典(医新会HP)より

 

 そこで取りあえず眼球の直径「24mm」として、そこから強膜の厚さ「1.5mm」と、水晶体の厚さの半分「2.5mm」を差し引いた「20mm」を水晶体の焦点距離としてみた。

 次にF値(口径比)も計算してみたが、これは「焦点距離÷レンズ直径」で求められる。従って水晶体の焦点距離「20mm」を、水晶体の直径「10mm」で割ると、口径比「F2」ということになる。しかし人間の目には絞りに相当する虹彩があり、これも考慮する必要がある。虹彩によって出来た穴が瞳孔だが、その直径は健康な人の場合「2.5mm〜4mm」とされる。これを絞り値に換算すると「F5〜F8」ということになる。

 以上をまとめると、人間の眼には「20mm F2」レンズが搭載され「F5〜F8」くらいで調節されている、ということになる。この数値は計算上のもので誤差はあるだろうし、個人によっても違うはずだが、いずれにしろ「50m標準レンズ」よりはかなり短いと言える。

 そういえば50mmレンズで絞りを開けて人の顔を撮ると、被写界深度が浅くなり背景がぼけて写るが、いっぽう肉眼ではそのように見えることは決してない。どうもおかしいと思っていたが、原理が分かると非常に納得できるのである。

 

○人間の眼の画角は何㍉相当か?

 

 それでは人間の眼に近い標準レンズは50mmではなく20mmなのか?と言えば話はそう単純ではない。始めに述べたように、レンズの焦点距離はレンズの画角も表しており、ここのところをキチンと整理しなければならない。

 まず人間の眼の画角はどれくらいか?目を正面に向け動かさないまま両手を広げると、視野の端のどこまで見えているかが確認できる。すると人間の視野は左右で約120°あることが分かる。

 画角120°のレンズとは何か?を確認すると、35mm判フルサイズ用の「焦点距離12mm」のレンズがそうで、これは並の写真家も人が使いこなせないほどのウルトラ広角レンズである。ところが12mmレンズで撮った写真は四隅までハッキリ写っているのに対し、人間の視界は中心がはっきり見えて、周辺に行くに従ってボケてゆき「見える」という意識自体も遠のいていく。

 いやそもそも、写真は四角い枠で区切られていて、その枠がレンズの画角を決定しているのに対し、人間の視界には明確な境界が存在しない。また写真が「静止画」なのに対し、人間の眼は常に動いている。だから「50mmレンズは人間の眼に近い」などという記述自体がナンセンスで非科学的なのである。

 

○基準としての標準レンズ

 

写真は「見たままを写す」とよく言われるが、実際は人間の視覚と写真とは、全くと言って良いほど異なっている。写真には写真独自の法則があり、それを「日常的な視覚体験」と切り離して冷静に捉えることが、写真上達の路ではないかと思うのだ。

 結局のところ「50mm標準レンズ」とは、写真の法則における一つの基準だと考えられる。つまり50mmレンズが基準となって、「望遠」や「広角」などレンズの分類が可能になるのである。基準があって分類があるからこそ、焦点距離(画角)ごとの特性を理解し、それを活かした写真表現が可能になる。「基準」が分からなければ判断に迷うことになり、そのため初心者が安易にズームを使うと写真が上達しないと言われるのである。

 

 

「標準レンズ」というナゾ

【標準レンズは人間の肉眼に近い?】

 

 私は中学生のころカメラというものにはじめて興味を持って、そして写真部に入部してみたのだが、このとき親に(家庭用カメラも兼ねて)1978年当時発売されたばかりの「ニコンFM」を買ってもらった。

f:id:kimioitosaki:20190611020729j:plain

ニコンの銀塩一眼レフカメラ製品一覧 - Wikipedia

 

このニコンFMには標準レンズとして「ニッコール50mmF1.4」が付属していた。当時はズームレンズが一般化する以前で、たいていの一眼レフカメラは50mmレンズとセットで売られていた。

 

イカ判(35mm判)カメラの標準レンズが焦点距離50mmとされるのは、それが「人間の肉眼に近い」と写真の入門書などに書かれている。これはあくまで画角(対角線画角)の問題だから、撮影画面のサイズによって標準レンズの焦点距離は異なる。

 

つまりデジカメの時代になって、撮像素子サイズの規格が多様化すると、APS-Cサイズ規格の場合33mmが、マイクロフォーサーズ規格の場合25mmが、1型サイズ規格の場合18.5mmが、それぞれ「ライカ判換算50mm相当」の標準レンズと言われている。

 

しかし実は私は兼ねてから、「標準レンズは50mm」ということと、その理由が「人間の肉眼に近いから」ということに対し、釈然としない思いを抱いていた。

 

私は中学時代に写真部に入ったものの、50mmレンズ付きのニコンFMで何を撮って良いのか分からず、中学卒業後はしばらくカメラからも写真からも遠ざかっていたのである。

 

その後、美大東京造形大学)に入学した私は、その機材センターで28mm広角レンズを借りてみたのだが、その使いやすさにあらためておどろいてしまったのである。自分が肉眼で見て「撮ろう」と思った風景が、だいたい28mmの画角に収まるのである。

 

そこであらためて、中学時代に写真を撮れなかったことの一因が、「50mm標準レンズ」にあったことに思い当たったのだ。自分が「撮ろう」と思った風景も、50mmレンズでは画角が狭くて収まりきらず、結果「何を撮って良いのか分からない」になってしまっていたのだ。

 

結局のところ自分の自然な感覚として、50mmレンズは「肉眼に近い」と言うことはまったくなくて、従って標準レンズとはとても言えない特殊レンズだったのである。

 

もちろんそれは当時の私の場合がそうであったに過ぎない。いずれにしろ、どの焦点距離(画角)のレンズを「標準」とするかは人によって、また時代によって異なるはずだ。事実、単焦点レンズを搭載するカメラの画角は、時代を経るごとに50mmより徐々に広角化している。

 

現在もっとも普及している単焦点レンズ搭載カメラのひとつは、「iPhoneの内蔵カメラ」だと言えるが、これは30mm相当のレンズが搭載されており、従って現代の多くの人がこの画角を「標準レンズ」として受け入れているのである。

 

いっぽうの50㎜レンズはというと、現代では標準レンズの座を「標準ズーム」に譲っている。そのかわり50mmレンズはズームレンズより明るく高性能な交換レンズの一カテゴリーとして、進化を遂げている。

 

 

そもそもカメラの標準レンズを考察するに当たって「肉眼に近いから」という理由を持ち出すことがおかしいと言えるのだ。なぜなら写真は四角いフレームに収められているのに対し、肉眼の視界にはそのようなフレームが存在しないのである。

 

人間の視界は中心だけがはっきり見えて、周囲に行くにしたがってぼやけている。というよりも、人間の「見る」という意識は視界の中心にはっきりと集中し、周囲に行くに従って意識そのものが遠のいて行く。従ってどこまでが見えていて、どこからが見えなくなっているのかという視界の境界線を「見る」ことさえ難しいのだ。

 

実は、人はそのように中心しかはっきりしない目を動かしながら、ものを見ている。自分で確認すると分かるが、実は眼を動かさないように一点だけ見つめ続けることは、かなり難しい。一点だけを見つめようとすると、すぐに「見える」という感覚がおぼろげになってイライラし、思わず目が動いてしまうのだ。

 

そのように自覚すると、自分の目は絶えず動いていて、対象物のいろいろな部分を次々と見ているのが分かる。眼が動くと視界も揺れてしまうように思えるが、実際には強力な「ブレ補正」によって人間の眼は実際には絶えず動いているのに視界は安定しているのだ。

 

そこであらためて気付くのは、人間はものを手でなでるように、ものを見ているのではないか?ということだ。人が手でものを触ってそれがどんなものかを確認するとき、必ず手を動かしてものをなでる。

 

だからこそ、それがザラザラしたものか、ツルツルしたものか、柔らかいのか硬いのか、などが分かるのだ。ものに触っても手を動かさなければ、そのような質感を知ることはできないのだ。

 

同じように人間の眼も、絶えず動かすことによって「それが何であるか」を判別し「見る」という機能が実現している。人間は手でものの表面をなでるように、眼を動かして視界をなでて認識している。

 

これに対し、写真は文字通りの静止画であって、人がものを見る仕組みとは根本が異なっている。つまり、写真には肉眼とは異なる「写真の原理」があり、だから「肉眼に近い」という考え自体がナンセンスだと言えるのだ。

 

「写真の原理」を「肉眼の原理」と切り離して考えると、何を標準レンズとするかは実のところ「何をどう撮るか」という写真としてのコンセプトによって異なってくるはずだ。

 

例えば昆虫のクローズアップ撮影の場合、50mmマクロレンズでは被写体に寄りすぎてしまって、100mmクラスのマクロレンズの方が標準レンズとして扱いやすい。また野鳥撮影のプロには「標準レンズは400mm」としている人もいる。

 

そして私は「都会に棲息する昆虫」の姿を記録するため、画角180度の円周魚眼だけで撮った写真集『東京昆虫デジワイド』(アートン新社)を出版したのだが、写真のコンセプトによってはどのように特殊と思われるレンズも「標準レンズ」になるのだ。

 

 

 

また私は「50mmレンズが苦手」という意識を克服して、50mm相当のレンズでモノクロ風景写真も撮るようになった。「50mm標準レンズ」とは一つの方法論であって、それを美味く理解して使えば、自分なりの新たな写真表現か可能になる。

 

もちろん肉眼と写真の原理は異なるとはいえ、全く無関係というものではない。そもそもカメラは眼球を模して作られているのである。それでは写真と人間の視界はどう関係しているのか?それを考えるのはこれまたなかなか難しい。しかしそうやってあらためて考えてみると、不思議なことがいろいろ含まれているのも写真の面白さだと言える。