世界最初の心霊カメラマン

○由緒正しい心霊写真

 デジカメの時代になって廃れたもののひとつに「心霊写真」がある。

 

私が小中学生のころ(1970年代後半)は心霊写真の本やテレビ番組が流行っていたが、私は昔からそういうものはあまり信じておらず、たいていは二重露光とか、フィルムの光漏れとか、いわゆる失敗写真で、そんなものに「専門家」と称する人が地縛霊だとか守護霊だとか、もっともらしい解説を付けていたのがバカバカしくも面白かった。

ところがデジカメの時代になってそのような失敗がなくなると共に、心霊現象もすっかり写真に写らなくなってしまったのである。

 しかし心霊写真そのものは19世紀の写真黎明期から存在し、それは子どものころ見た心霊写真の本にも紹介されていた。心霊写真は長い歴史を持ち、その意味で由緒正しい写真なのである。また現在はデジカメとCG技術が融合した特撮全盛時代でもあり、その源流に心霊写真があると考えられるのだ。

 

南北戦争と心霊写真

 

 そこで心霊写真の歴史をあらためて調べてみたところ、ウィリアム・マムラー(アメリカ・1832〜1884)が世界初の「心霊写真カメラマン」であることが分かった。

 

マムラーは宝石の彫刻師として働きながら、趣味で写真撮影の練習をしていた。そしてある日セルフポートレートを撮ったところ、自分の背後に少女の姿が影のように浮かんで写っていた。

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これを友人に見せたところ「この写真に写っている少女は、亡くなった君のいとこにそっくりだ」と言われた。もちろんマムラー自身は、自分が二重露光のミスをしたことに気付いていた。しかし彼はこの失敗を元にあるビジネスを思い付く。


 マムラーが写真を始めた1860年代は「ダゲレオタイプ」が1839年に発表された20年あまり後で、改良された湿板写真が主流だった。と同時に南北戦争(1861
–1865年)の最中で、戦場写真も撮られ始めていた。そこで彼は、南北戦争で親族を失い悲しみに暮れる遺族のために、死者の霊と共に肖像写真を撮る「心霊写真スタジオ」をニューヨークでオープンしたのである。


 実は産業革命期の19世紀は死者の霊と交流する「科学実験」も行われ、そんなオカルトブームに乗ってマムラーの「心霊写真」も注目を集め、彼のスタジオには人びとが殺到した。


 ところがそのうちマムラーの心霊写真にやっかみや懐疑の目を向ける人も出てきて、ついに詐欺罪で裁判に掛けられる。そこで検察は別の写真家が意図的に撮った「ニセ心霊写真」を差し出し、このような写真が「二重露光」で撮れることを示した。そのニセ心霊写真には「悪名高い興行師バーナム」の背後にうっすらと、エイブラハム・リンカーンの霊が写っていた(写真2)。

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 この「バーナム」とは何者か?気になって調べてみると、現在でも有名なリングリング・サーカスの創始者で「観客を発明した男」とも呼ばれた興行師であった。

 

バーナムは「ジョージ・ワシントンの元乳母で年齢161歳」と言う触れ込みの黒人女性ジョイス・ヘスを見世物にすることで、興行師としての人生を始めた。

 

リンカーン奴隷解放宣言1862年の30年ほど前である。

 

ジョイス・ヘスが死亡すると、バーナムは彼女の遺体を解剖するショーを開き、50セントの入場料で1500人の観客を集めた。その際の解剖医により彼女の年齢が80歳に満たないことが明らかになった。

 今の常識で考えるとずいぶん酷い話だが、かつてのアメリカは奴隷制度が容認され、基本的人権も男女同権もなく、現在とは全く異なる世界だったのだ。


 話が横道に逸れたが、バーナムの背後にリンカーン像が写るニセ心霊写真は、当時としては皮肉の効いたジョークでもあったかも知れない。

リンカーン夫人と心霊写真

 そんな写真が法廷で示されたにもかかわらず、マムラーは証拠不十分で無罪になる。今の常識からすると意外な判決だが、当時はまだ科学とオカルトの区別が明瞭ではなかったのだろう。


 しかしケチが付いたマムラーの心霊写真は人々から疑いの目で見られるようになり「マムラーは亡くなった人の写真を入手するため盗みに入っている」という噂まで立ち始めた。そこでニューヨークにいられなくなったマムラーは、故郷ボストンに戻る。

 ところが1872年、噂を聞きつけたひとりの老婦人がマムラーを訪ねてくる。それはなんと1861年に暗殺されたリンカーンの未亡人、メアリー・トッド・リンカーンであった。メアリーは目の前で夫を暗殺され、さらに息子ロバートも病気で亡くし、悲しみの果て鬱病を患っていた。


 そしてメアリーはマムラーに得意の肖像写真を注文した。マムラーが撮影したメアリー夫人は満足したように穏やかな表情で、その背後にリンカーンの霊が佇み、両肩にやさしく手を添えていた(写真3)。

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それが1882年に亡くなったリンカーン夫人の最後の写真となった。いっぽうマムラーは1884年に無一文のうちに亡くなった。


 普通に言えば、マムラーの心霊写真はインチキに過ぎない。しかし人間心理に影響を及ぼす画像合成技術だったことを考えると、はやり現在のデジタル合成技術に連なるパイオニアとして十分に評価できるのだ。