カメラとは時計である

カメラとは何か?常識的には写真を撮る道具である。しかし私はふと、カメラとは「時計」でもあることに気が付いた。

 

どんなカメラも時計としての機能を持っている。カメラにはシャッター速度ダイヤルが備えられ、「1秒」とか「1/30秒」とか「1/1000」とか、実に正確に時を刻む機能を持っている。だからカメラの進化とは、時計としての進化でもある。

現代のデジタルカメラは電子式の時計として機能している。フィルムカメラ時代の電子シャッターカメラには、まさに時計と同様クォーツ制御を売りにしたヤシカコンタックス一眼レフもあった。

 

それ以前の機械式カメラは、まさに機械時計である。私はその昔、ジャンク品で買った壊れた機械式カメラを修理するのが趣味だったが、カバーを開けて中のギアやバネや分銅などの動きを見ると、その精密さに惚れ惚れしてしまうのである。

 

しかしそもそも写真が発明されてから間もない頃のカメラには、シャッターが搭載されていなかった。シャッターのかわりにレンズキャップを手動で開けて、露光時間を計って閉めていた。初期の写真は露光時間が長く、カメラ内部に短い時間を精密に測定する時計をシャッターとして搭載する必要がなかったのである。

 

それでは初期のカメラは時計ではなかったのか?と考えると、そのカメラで撮られた写真そのものに、時計としての機能が備わっていることに、気が付くのである。

例えばニエプスが世界最初に撮った写真は露光に数十時間を要したとされるが、それだけの「時間」がその写真には示されている。当時の感光材の感度と、レンズの明るさに応じた適正露出の「時間」を、その写真は時計として表しているのである。

また、1826年あるいは1827年に撮られたとされるニエプスの写真には、「その日」の時間が確かに示されている。それは現代に至るあらゆる写真も同様で、だから本質的に写真は時計であり、カメラも時計であり、その両者の時間合わせをしたのが「適正露出」だと言える。

 

では時計とは何か?と思ってその歴史を振り返ると、歯車やゼンマイを使った機械式時計の前は、砂時計や水時計で、それ以前は日時計だった。

 

古代ギリシアでは日時計が使えないときに使える時計として、水時計が考案され、それが現代に至る機械式時計のルーツだと言われている。

 

ともかく日時計こそが時計のルーツなのだが、そう考えると写真とは実に日時計の一種であることに、気付くのである。写真はそれが撮られた固有の時間を示しているが、それは太陽の光によって投影された時間だと考えると、まさに日時計である。